女川-金華山への旅


それが何を意味していようが、そこに時間が存在し、何かが起き、僅かながらに『ヒトトキ』を感じるものである・・・

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 金華山を目指したこの旅もいよいよクライマックスを迎える事となった。もっとも金華山は最初の方でクリアしてしまっている訳だが・・・思えば、ほんの思い付きから始まり、行き当たりばったりで此処まで来た。まさか健康ランドに泊まったり、宮沢賢治ゆかりの地に訪ねるなんて思いもしなかった。

 さて、我々が紹介された温泉は大沢温泉菊水館と言う宿だ。観光案内所のおばちゃんはどうやら我々の希望通りの宿を紹介してくれた様だった。我々が泊まった菊水館は花巻駅からバスで山道を登って行った宿で、平屋の茅葺屋根の旅館だった。茅葺屋根の建物に泊まるなんて初めての事で驚きと共に感動を味わったのを記憶している。
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 この旅館はこの茅葺の建物から渓流にかかる橋を渡ると、渓流を見下ろす様に混浴の露天風呂が右手にあり、
そこからしばらくは自炊部と言われる細長く入り組んだ長屋の様な建物内の通路を歩く事が出切る。
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 その通路はまるで下町の路地裏を歩いているかの様な錯覚を受け、古い家具の置かれた休憩所や、駄菓子屋の様な雰囲気の売店などが細長い通路沿いにあり、時折内湯や露天風呂なんかもあり我々は湯に舌鼓を打つのである。この通路を更に進んで行くと少し高級な山水閣と呼ばれる宿につながる。もしかしたら、この山水閣が正面玄関なのかも知れない。
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 この様にここの旅館は菊水館-自炊部-山水閣と三部構成になっていて、風呂数も多く非常に楽しませてくれる。此処の渓流沿いの一番大きな露天風呂は混浴で、私が一人で入っていると男女のペアが入ってきた。女性の年のころは私と同じくらいだろうか?当然風呂なのだから全裸である。何か特をした気分になってしまった。その事を相方にも話すと少し残念そうだった。
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 夕食はとりわけ高級なものが出るわけではないが、それなりに立派な食事が出てきたのには驚いた。
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 その夜、我々は夜更かしもする事なく、自然に各々寝入ったのだが相方のいびきが余りにうるさかったのには参った。きっと疲れが出たのだろうと思ったが、余りにうるさいので時折足蹴にしたりして、いびきを中断させてやった。
 翌朝の朝食も十分満足できるメニューであった。
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 我々はバスで駅までもどると各駅電車に乗り帰路に着いたのだ。
 花巻から上野まで何時間ぐらいかかったのだろうか?現在のネットで調べたところ平日花巻駅を9:43に出ると上野には19:10に到着する。乗り換え時間等を含め9時間30分程度である・・・実際は途中仙台の駅ビルで駅弁買ったりしたからもう少しかかったと思う。
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 移り行く車窓を眺めながら今までの旅を思い返したりする時間は十分にあった。しかし最後の方は疲労とお尻の痛みに耐えるのが苦痛でしかたがなかった。
 もう7~8年前の話である。私はこの後転職活動をして現在の職場で働く事になる。
 いつかまた同じ景色を見てみたいものだ・・・
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 一関駅に向かう事にに決めた我々はボックス席でお互い窓際に座り薄暗くなりつつある車窓をぼんやりと眺めていた。そう言えば今朝は女川にいたんだよな・・・、まさか一関まで行く事になるとは予想もしていなかった。そんな事を思っていると、窓の外は何時しかポツリポツリと雨が流れ、そのうち土砂降りへと変わっていった。つくづく天気には恵まれなかった様だ・・・
「これは野宿は無理だね」相方につぶやくと、これからどうしたものかと不安な気持ちになった。

 さて、一関駅に着いたは良いが、土砂降りの雨じゃあ野宿をする訳にも行かない。しかし時間は刻一刻と過ぎて行く。決断をしなければ・・・、その時駅の公衆電話(だったかな?)の所に電話帳があるのを見つけ今晩止まれる場所を探してみたのだ。出切るだけ安い所はないだろうかと探していると、一件の健康ランドをみつける事が出来た。ここなら夜食付きで2200円程度で止まれるが、また電車で柳原と言う駅へ行かなければならない。我々は意を決すると柳原まで行く事にした。ただ、電車の時間まで少し時間をつぶさねばならなかったが・・・
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 結構遅い時間になっていたと思う。柳原駅に着くと我々はタクシーに乗って一直線で健康ランドへ向かった。駅からはほんの10分程度で着いただろうか・・・
 入り込んだ健康ランドにはお風呂に限らず、サウナや仮眠室などが充実している。我々は久しぶりの風呂に喜び、今までの疲れと汚れを思いっきり洗い流した。ここの良い所は夜食が付いている事だ。我々は食堂でそばを食べる事にした。柔らかいフニャフニャのそばだったが物凄く美味しく感じた。我々は夜食を食べ終えると仮眠室に向かった。仮眠室は確か2段ベットが並ぶ大部屋でのんびりと足をのばして眠る事ができた。

 翌朝我々は駅までバスに乗って戻った。ここから我々は何故か花巻駅まで出向いている。恐らく途中で広告かなんかで宮沢賢治のふるさとである事を知った為だと思われる。ようするに全くの偶然で我々は花巻へと繰り出すことにしたのだった。花巻に着くと今夜の宿泊の事を考えた。昨夜屋根のある暖かい建物で寝てしまったものだから、野宿をするつもりになれなかった。そんな訳で何処かの温泉宿にでも泊まろうと言う事になった。駅の観光案内所で1泊1万円以下で古くて趣のある温泉宿を紹介して欲しいと頼むと、一件の宿を紹介してくれたのだ。宿のチェックインまで時間はまだたくさんあったので、宮沢賢治ゆかりの市内観光をする事にした。
 まず市内で昼飯を食べる事にした。それも宮沢賢治ゆかりの蕎麦屋だっただろうか、我々は蕎麦を食べながら巨大なトンカツを食べた。かの宮沢賢治はそばとサイダーを良く食したと言う。
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 それからバスで宮沢賢治記念館に行ったり、徒歩で宮沢賢治の生家にいくなどしてイーハトーブを観光して回ったのだ。それほど宮沢賢治に興味があった訳ではないか、少なくとも宮沢賢治に対するぼくの考え方は大きく変わったのだ。
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 時間一杯観光をした後、いよいよ宿に向かう事にした。一体どんな宿なのだろう・・・、我々は酒屋で缶ビールなどを仕入れると期待と不安をもってバスに乗り込んだのだ。


 我々は時刻表を眺めながら気仙沼に行く事を決意すると電車に乗り込んだ。
 女川から石巻線で前谷地駅まで出向き、気仙沼線で太平洋沿いに気仙沼駅まで目指す事になるのだが、乗換駅の前谷地駅でかなりの時間を待つことになった。
 ここでの詳細な記憶は残っていないが最悪自炊できるように100均で手鍋(持ってくるのを忘れていた)を買った記憶がある。このまま夜飯が食えなくてもカップラーメンを非常食ととして持っていたので、それを食べれば良いと考えていた。ちなみに小型のコンロは持参していた。しかし非常食のカップラーメンは旅の最中で食べる事は無かったのだが・・・
 そんな感じでかなりの時間をつぶしたと思う。ようやく気仙沼線に乗り込むことが出来た。電車は太平洋沿いに走る為か、陸前小泉駅、陸前港駅など・・・、陸前と名のつく駅が多く車窓から見える海はかなり荒れていた記憶がある。気仙沼と言えば、サメ→フカひれが有名である。我々はタクシーで近くの市場まで出向き、フカひれ丼とフカひれラーメンを食べたが、フカひれはちっぽけなもので感動と言うより落胆した記憶が残っている。
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 この他、市場には様々な海産物が売っていたが、我々は眺めるだけで、これ以上気仙沼にいても仕方が無いねと言う結論に達した。そこで、我々はもう海には未練は無いと言わんばかりに内陸の一関へと目指したのである。何故なら一関は学生時代に野宿をした経験があるので、ここに行けば何とかなると考えたのだ・・・
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 翌朝眼が覚めたのはまだ5時前だったと思う。体は寝袋があるとは言え固い地面で寝たためか大分凝り固まっていた。それでも少し肌寒く感じる風には微かな潮の香りが漂い、これからの事を考えるとわくわくして来た。相方は先に目が覚めていたらしく散歩を始めていた。自分方はしばらくの間まどろんでいた。ようやく目が覚めトイレで顔を洗って駅舎に入ると昨夜いた野獣臭い旅人が既にいなくなっていた。我々はホット息を撫で下ろすと、始発の電車が始まってはまずいと荷造りを急いだ。
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 女川と言う町の探索と朝飯の調達をかねて歩いてみたが時間が時間なだけにどこも店が開いていていないし、人の気配も無い。それでも一件のコンビ二をようやく見つけることができ、海沿いの堤防近くで暖かいカップラーメンをすすった。夏とはいえこの日は少し肌寒かったのだ。その後も町を探索したが何も見つけられず、とりあえずフェリー乗り場で時間を確認した。しかしフェリーまではまだだいぶ時間がある様だった。仕方なく我々は近くの公園で寝る事にした。まだ朝なので二度寝と言う事になるだろう・・・
 ようやく目が覚めると気だるい気分に負けそうだったがフェリーの出発時間が近づいている為急いで港に向かった。フェリーは思いの他立派なフェリーだった。乗客は我々の他2~3名位しかいなかったと思う。フェリーはかなりのスピードを出していたと思う。窓は水しぶきで何も見えない程だった。20分弱位だろうか?ほどなく金華山に到着したのだ。
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 金華山のメインの観光ルートはこの港から山頂付近の神社までである。まあ登山ほどでは無いが海のある所から山頂まで行くのでそれなりにキツイ工程ではある。でも野生のシカやサルが現れたりして心が和んだり、大海原を見下ろす雄大な景色は格別なものだ。相方も数十年ぶりの金華山には心ときめかしている様だった。
 そこいらじゅうにシカがいる山頂の神社で古い建物の様相を眺めながら休憩をしていると、我々はこの先どうしたらいいかと考えた。本当は金華山で野宿をしようと考えていたのだが、この風に、この寒さ、雨も混じり始めているから野宿は諦める事にしたのだ。宿泊施設も一件ある様だったが、もうここには見るものは無いと思い女川を目指す事にした。しかし例によってまだ時間が大分余っていたので、七輪で焼いたイカやホタテを食べながら日本酒を飲んでいた。(写真は店のオヤジ)
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 女川に着いたのは丁度昼ごろだった。フェリー乗り場近くの観光客向けの小さな市場でぶらついているとホヤが1個60円、ホタテが1枚150円、煮シャコが13匹で1000円だった。我々は備え付の食堂で昼飯を食べる事にした。正確な名前は忘れたが鯨定食に海鮮定食である。二人で1個づつ注文しおかずをシェアしようと考えた。鯨定食は大きな鯨の髭に様々な鯨肉の食材がならび、海鮮定食は金目鯛(?)の開きに刺身等豪勢な定食である。
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 味の方はめちゃめや美味しかったのは言うまでも無い。この旅に出て初めての地物だ・・・

 昼飯を終え辺りをうろつく二人には先ほどとは打って変わって熱い太陽の日差しが降り注ぐ。しかし遠くの空はどんよりしている。時間はまだ昼少し過ぎである。我々はこれからどうしようかと考え時刻表の地図を眺めると、取りあえず今まで行ったことの無い気仙沼へ行く事にしたのだった・・・





 たぶん上野あたりで待ち合わせをしたんだと思う18切符を使い旅をスタートした。互いに着替えと寝袋ザックに詰めた格好で丁度会社のお盆休みの時期だ。この日はとにかく女川まで行こうという事になっていた。当然鈍行で行くのでかなり時間がかかるのも覚悟の上だ。最初のうちは一緒のボックス席なんかに座って缶ビールや弁当を食べたりしたけど、その内見慣れない景色が広がると無口になり互い互いに思いの席で物思いにふけた。
 昔の写真を見ると確か仙台駅に夕方着き、仙石線と言うのに乗って石巻に行く為、一旦高城町と言う駅で電車の乗換えがあった。確か30分以上駅で待たされたと思う。明るかった空も日がすっかり暮れてしまった。この変がローカル電車の不便さと言うか醍醐味である。時間があまっているのでホームを出て駅前を散策したりした。記憶としては雑貨屋か酒屋のようなものが1件あるだけだったと思う。ぶらぶらとしていただけで終わったが暗くなった景色にお店の明かりが輝いていたのを今でも覚えている。
 ようやく電車に乗り込みしばらくすると車窓からうっすらと松島の景色が見えた。もう少し明るければ良かったのだが、それでもその景色は美しい様に思えた。この時期(少し前だったかな)宮城県あたりは大きな地震があった。そんな電車の中で、受験生が夏期講習とか、テストだかに行くのが大変だったと言う趣旨の話をしていたのが印象的だ。我々にしてみれば確かそんな地震があったなぁと言う程度だが、地元の人は相当大変だったらしい・・・
 ようやく石巻に着いたのはもうすっかり夜だ。駅の外に出て夜飯を食おうと思った。ガイドブックも何も無く、時刻表しか持参していなかったので何処に何があるのかサッパリ分からない。駅前にサイボーグ009のキャラクターのオブジェがあるのを見つけ、ここが石ノ森 章太郎ゆかりの地だと初めて気づいた。
しかし飯を食うところが全くない。何か土地のものが食べたいと思ったが何も無く、ようやく一件の居酒屋を見つけた。特に珍しいメニューも無いが美味しい夕食は食べる事ができた。
 さて、いよいよ女川へ行くべく石巻線に乗ろうとしたがまだ電車のくる時間ではなかった。渡り階段を上ったり降りたりしていた記憶があす。確か最終の1こ前の電車に乗り込んだと思うが人影はほとんどない。車幅は非常に狭く路線バスの様なイメージだったと思う。虫が窓に集まり飛び跳ねる・・・
 ようやく女川に着いた。も初日だけでずいぶんと長い旅をしてきた気がしてならない。降りた乗客は我々以外いなかったのではなかろうか?あたり一面は真っ暗で民家の明かりが時折ポツポツと光るだけだ。遠い土地の空気の香りに少し緊張感を感じただろう・・・、我々は駅舎で一晩寝ようと思ったが既に先客が独りいた。もう眠りに入っていたがバイクで旅をしている様だったが、何故か野獣の様な匂いが駅舎に充満している。さすがにこの状況下で駅舎で寝るのは辛いので、最終電車が来るのを待ち、駅のホームで寝袋を敷いて寝ることにした。
 駅のホームには駅舎を抜けるとそのままホームがまっすぐ伸び、両サイドに線路が延びるだけの構造で、周りに壁もなく辺り一面が見渡せた。片側の線路には最終電車がそのまま停車している。我々は誰もいないのをいい事に線路に下りてしばらくうろつきまわっていた。寝袋は駅舎に近いと嫌だったので地面が舗装されている、ほとんど端っこの方に敷いた。誰かナイフを持った変質者が襲ってきても駅舎から離れていれば少しは時間が稼げると思ったからだ。そして我々は生暖かい夜風に吹かれながら眠りに入った・・・

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